安倍晋三:2012年・首相返り咲き!

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2013年の参院選・野党がバラけて6年!
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今も野党は四分五裂!
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平成24年(2012)秋の自民党総裁選には石原伸晃幹事長、石破茂元防衛相、町村信孝元官房長官、林芳正政調会長代理に加え、健康を回復した安倍晋三元首相も立候補した。9月26日の投票では、第1回投票で安倍氏が141票(議員票54票、党員票87票)、石破氏が199票(議員票34票、党員票165票)、町村氏が34票(議員票27票、党員票7票)、石原氏が96票(議員票58票、党員票38票)、林氏が27票(議員票24票、党員票3票)を獲得し、上位2人の決選投票(国会議員による投票)となり、安倍氏108票、石破氏89票で、安倍氏が第25代自民党総裁となった。
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第23回参議院選挙(7月28日)の開票結果(改選数121)
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本紙が過去に参考としたnet関連記事、その時には不要と思っていた「印刷していた記事」が今では、10万枚近くもあり、ここ1~2ヶ月、PDFによる保存をしてきた。
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この休みの間、2日間ほどで5000ページほどをPDF化した中に、2013年の安倍晋三氏の自民党総裁選の記事、その後に総裁選2位となった石破氏が幹事長となり、同年8月17日に行われた第23回参議院選後、野党になったそれぞれの議員が何をしていたのか、6年たち、せれら野党議員が辿った道は、「栄華盛衰は世の習いというが、隔世の感がある」という意味で引っ張り出してみた。
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立憲民主党の枝野代表は、政権を狙うためには数だと言い出した。烏合の衆も数である。民主党政権のとき、枝野代表は「菅直人政権の幹事長であった」のだが、なぜ民主党政権が崩れ去ったのか、忘れてしまったのか。民主党から立憲民主党と名を変えても、野党に合流の声をかけている先は「旧民主党の分裂議員等にである」事を見ても、烏合の衆の数集めの域を出ないところは、昔も、今も、これからも同じだ。
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国民は、民主党政権が「どれだけ負の遺産を生み出したのか知っている」が、長期政権に立つ安倍晋三にも嫌気を見せている。ここ1~2年で「衆議選挙」があるだろう。どの政党を選ぶかで、明るくも暗くもなる。
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以下を読んで、ああそうだったと思いだして欲しい。
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2003年9月に自由党が合流(民由合併)。2006年4月、小沢一郎が菅を破り、新代表に就任。小沢は菅を代表代行に指名し、幹事長を務める鳩山と共に「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた。
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2007年の参議院議員通常選挙につづき2009年7月、首相の麻生太郎が衆議院を解散する意向を表明。7月のNHKの全国世論調査で初めて民主党が政党支持率で自民党を逆転した。衆院議員総選挙でも勝利し政権を獲得、社民党・国民新党とともに連立与党を形成した。第172回国会で鳩山由紀夫内閣が正式に発足し、社民党・国民新党との連立政権が誕生。党幹事長に小沢、内閣官房長官には平野博文が起用された。CO2削減目標の引き上げ、自衛隊インド洋派遣の撤退、公共事業の見直しなどの政策を推し進めるが、同時に幹事長の小沢と鳩山自身に政治資金収支報告書の虚偽記載問題が再燃する。
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2010年以降、内閣にとって決定的な打撃となったのは、前年から徐々にクローズアップされてきたアメリカ軍の普天間基地移設問題であった。移設先を「最低でも県外が期待される」と総選挙時に明言していた鳩山は、沖縄及びアメリカが合意していた辺野古沿岸部へ移設する現行案を白紙に戻し、県外・国外移設の道を探っていた。しかし5月、移設先を見つけることができず、これを断念。失望した沖縄が現行案の辺野古沿岸部案をも受け入れ撤回する事態に発展し、移設問題は大きく後退してしまう(この際、県外移設を求めた社民党が連立を離脱した)。鳩山は事態打開のため、一連の問題の責任を取る形で首相を辞任した。 6月4日に行われた両院議員総会では、小沢グループ以外の票を固めた菅が圧勝し、発足当初は、60%を超える高い内閣支持率を記録した。
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2011年1月14日に菅第2次改造内閣が成立。3月11日には東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、政権は震災復興と福島原発事故の対応に追われた。 月26日に菅が退陣を正式に表明したため、民主党代表選が行われ、野田佳彦・海江田万里・前原誠司・鹿野道彦・馬淵澄夫の5人が出馬した。代表選では小沢と鳩山のグループから支援を受けた海江田が先行し、前原と野田が追う展開となった。第一回投票では海江田が最多の143票を得るが過半数には至らず、野田との決選投票では前原・鹿野陣営の支持を集めた野田が勝利し、第9代党代表に選出された。
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2011年8月30日の衆参両院本会議内閣総理大臣指名選挙において第95代内閣総理大臣に指名された。野田は代表選挙当時から消費税率を現行の5%から10%に引上げる消費増税を掲げたが、歳出削減が進んでないうえ、景気にも悪影響だとして小沢グループや連立を組む国民新党などから反対意見が噴出した。
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2012年に入り、社会保障・税一体改革関連法案の採決は6月26日に衆議院本会議で行われ、民主党・国民新党・自民党・公明党・たちあがれ日本などの賛成多数で可決された。消費増税法案の採決では反対の意を表明していた鳩山、小沢以下57名が反対票を投じ、原口一博・小沢鋭仁ら13名が棄権、2名が欠席(病欠した元首相の羽田孜を除く)するなど72名の造反者を党内から出した。 7月1日午後に小沢は記者に離党の意思を表明した。2日、小沢ら国会議員52名(後に2人が撤回し50名)が離党届を提出した。
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小沢グループの離脱後も党分裂は収まらず、17日には谷岡郁子ら参院議員3名が反原発掲げ「みどりの風」を立ち上げた[35]。消費税増税関連法案の採決以後の離党者が55人となり、参議院では第2会派との差が2人まで縮まった。
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各社世論調査で内閣支持率が軒並み低迷し、求心力を失っていた野田は、日本維新の会などの「第三極」の選挙準備が整う前に解散・総選挙を行うのが得策と判断。11月に入ると自民・公明両党の求めに応じる形で、年内に解散・総選挙を行う意向を明らかにした。
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11月16日、衆議院は解散され、第46回総選挙が行われた。12月4日公示・16日投開票の日程で行われた第46回総選挙では、解散前の230議席を大きく下回る57議席(小選挙区27議席、比例30議席)と大きく後退した。2012年の総選挙で大敗し、再び野党となった。
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野田の代表辞意表明を受けて、12月25日に代表選挙が党所属国会議員のみの投票で行われ、海江田万里が馬淵澄夫を破り、代表に選出された。
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2013年参院選では候補が擁立できない「不戦敗」(富山・和歌山・山口)を含めて1人区で全敗し、改選前44議席から17議席へと減らし、非改選と合わせた参院議席数は59議席と第2党に転落した。また青森など13県では県連所属の国会議員がいなくなった。ただし、海江田体制は維持された。
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この参院選敗退の民主党が離合集散する状態は、衆議院選が近くなることを想定し、与野党が駆け引きしている。
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安倍は消費税率引上の先送を表明し、この判断の是非を問うとして衆院を解散した。民主党にとっては野党転落後初の総選挙である2014年総選挙が行われた。12月14日の投開票の結果、民主党は小選挙区と比例代表合わせて73議席を獲得し、改選前の63議席から10議席増やした。しかし、代表の海江田が東京都第1区で敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックでも復活当選できず、議席を失った[56]。党としては小選挙区比例代表並立制導入後初の野党第1党首落選となった上、対する与党は3分の2以上を獲得し、「一強多弱」の情勢は崩しきれなかった。
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