米合衆国・成立時点から武力略奪:なぜ世界最強になったのか?4

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世界恐慌とフーバー大統領!
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恐慌と経済政策・フーバー大統領!
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第二次世界大戦が起こった遠因とは!
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「世界恐慌とニューディール政策」というのは、「アメリカから起きた大不況」と「フランクリン・ルーズベルト大統領による経済政策」のことと言われる。
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世界は第一次世界大戦(1914-1918年)が始まったときのアメリカ大統領は、ウッドロー・ウイルソン大統領(任期・1913年3月-1921年3月)。ウイルソンは対戦が勃発しても中立を表明していた。しかし、再選後の1917年4月にドイツに宣戦布告をし参戦した。
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理由は、欧州連合国への戦費貸付金が100億ドルにも達し、連合軍が敗けては大損をこうむるのと、日本が1914年に連合軍側に参戦し中國・太平洋のドイツ利権を日本に取られるという危機意識g影響したのだ。
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大戦で戦勝国側にいたアメリカ、日本は、ほぼ無傷、さらには「ドイツの領土」という戦賞品までもらえた。
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アメリカに関して言えば、この第一次世界大戦をキッカケに「世界の警察」へと上り詰めていく。
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この第一次世界大戦と第二次世界大戦を経て、世界の覇権を握ることになる。すなわち中国の軍備台頭まではアメリカの一人勝ちだった。
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1920年代後半になると、ヨーロッパの経済もだいぶ回復していて、工業製品や農作物もどんどん売れなくなっていきました。
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さらにアメリカ国内では、昔から貧富の格差がすごく、低所得者は大量生産したものを買うこともできないので、最終的に製造品が売れ残ってしまう。
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多くの人が持っていた株を一斉に売り出した。1929年10月木曜日の出来事でした。
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ウォール街の証券取引所では株の大暴落が起こり、のちにこの日を「暗黒の木曜日」と呼んでいる。
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「フランクリン・ルーズベルト」という人物が1933年、アメリカ合衆国大統領に就任。
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フランクリン・ルーズベルト大統領は、この大不況を乗り越えるため、「ニューディール政策」というのを始める。
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「3つのR:Relief(救済)、Reconstruction(復興)、Reform(改革)」を掲げ、大統領は尋常じゃない速度で改革を進めた。
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「緊急銀行法」「全国産業復興法」「農業調整法」「テネシー川流域開発公社」のこれらの対策を100日以内に、すべて実行した。最も大規模だったのは、30超のダムの建設を中心とした、大規模な公共事業で、大量の失業者に対して、仕事を与えた。
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大恐慌はアメリカだけでなく、世界の国々へと影響を与え、一部では1930年代前半までに回復しましたが、ほとんどの国では第二次世界大戦までこの不況が続いた。
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日本は、第一次世界大戦で戦勝国になったものの、その後の関東大震災 (1923年)、昭和金融恐慌 (1927年)などの影響下にあった最中に、このアメリカの大恐慌が襲い失業者は出たが、翌年には回復した。
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第一次大戦でのドイツは敗戦により、大量の賠償金を請求され強烈なインフレになっていたが回復したところへ、大恐慌によりドイツ経済は再度不況に落ちいった。
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この窮状での国民の不満の中、ナチス党のヒトラーが首相に任命された。この不満に乗じ、ナチス党は軍備増強を図り6年後にはナチスドイツがポーランドに侵攻する。
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なんとなく、ロシアのウクライナ侵攻とダブル面がある。
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