連帯関西生コン:復活できるか!

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復活の元は輸送にある!
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ゾンビは忘れた頃に動き出す!
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武建一委員長は、徳之島から出て大阪で三生運送に運転手として初めて就職したことが、現在の関生支部として生コン業界のドンと言われる原点である。
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この間、運送業者の地位が向上したとは思わぬが、間違いなく連帯労組は組織化が図られ、日々雇用に応じれる労組組合員も増えた。
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初期の頃、生コン製造業者が臨時雇用を求めていたとき、息のかかった労組員を応募させ、頃合いを見計らい「待遇改善を求め1人組合立ち上げ、連帯に応援を頼む」そのやり方は、今も変わっていない。
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下記の表は、関西方面で地労委に仲裁を申し立て、各種命令を受けた一覧である。
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1978年(S53.3.23) 千原生コンが団体交渉命令を受け
1978年(S53.4.28)福田生コンが解雇取消、原職復帰命令を受け
1984年(S59.2.10) 藤原運輸が組合離脱し別組織を結成した組合と誠実に交渉に応じよ
1984年(S59.4.6) 近畿生コンに別組合だけでなく関生にも応じよ
1984年(S59.12.21)ダン生コンに団交に応じよ
1985年(S60.3.26) 安威川生コンに原職復帰、バックペイ5年分
1985年(S60.4.5) 土藤生コンに原職復帰、バックペイ
1985年(S60.6.14) 神友興産に自宅待機命令解除
1985年(S60.8.22) 大阪兵庫生コン工業組合に団交命令
1985年(S60.9.13) 京都福田に原職復帰、バックペイ5年
1986年(S61.9.9) 北大阪菱光に原職復帰、バックベイ5年
1987年(S62.2.12) 京都小野田レミコンに団交に応じよ
1988年(S63.11.11)摂津生コンに団交に応じよ
元号が変わり
1989年(H1.5.16) 西沢生コンに団交に応じよ
これ以降は後日。
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このように、日々雇用を利用し、団交に持ち込み、トラぶり、地方労働委員会に仲裁申請し断った会社は、次々と労働者側に有利な裁定を下している。労働委員会も、仲裁申請の常習犯だと見抜けないのだろうか。
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この手の地労委仲裁での命令後或いは裁判後に倒産、破産或いは労組委員の拠点になり、現在でも連帯の影響下に置かれている企業の一部である。
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滋賀県系の逮捕も、セメントSSの輸送妨害で、西山直洋の指揮のもと妨害実行者が逮捕された。妨害者は、日々雇用の輸送から組合員になったものばかりである。
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生コン業界も、滋賀県警の一連の逮捕で、首謀者たちが逮捕されたから、表面上は大人しくなったように見えるが、裁判の結果如何では早期復活がしてくるものも出てこよう。他府県の警察本部が別個に逮捕することになれば、中には8年以上の刑の執行者も出てこよう。
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まず、5年後を見据え、各府県の協同組合は対策を練る必要があろう。現在の協同組合の内容では、個社のコーポレート・ガバナンス、経営者のコンプライアンスを自覚しているようには思えない。日々雇用のターゲットのなっている運送・輸送業界は協同組合があっても「連帯色の強い企業に遠慮し」身を守ることをしていない。
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3年後、5年後から、ゾンビが復活するぞ。
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