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自民党復党も本領発揮できず逝く!
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78歳で亡くなった与謝野馨氏は、財務相や経済財政担当相などを歴任し、筋金入りの財政再建論者として知られた。2012年の民主党・野田佳彦政権下での「税と社会保障の一体改革」の3党合意は、与謝野氏抜きには成り立たなかったと言われ、財務省をはじめ経済官庁から与謝野氏死去を惜しむ声が聞かれた。
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「全身がん政治家」(文芸春秋社刊)で明かしたように、39歳でがん告知を受け、4種のがん発病と2度の再発を経験した「がんサバイー」だった。博学で囲碁やカメラなど多芸。日本では珍しいディレッタント肌の政治家だった。
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1996年に橋本政権の梶山静六官房長官の下で副長官に就いたのが契機だ。秘書として仕えた中曽根康弘元首相が、政治家・与謝野氏の生みの親だとするなら、梶山氏は育ての親と形容できよう。
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09年に自民党が下野した後に離党したが、11年には民主党の菅直人首相の要請を受け、再び経済財政担当相として入閣。政界では「変節」と非難を浴びたが、消費税率を10年代半ばまでに10%に段階的に引き上げ、増大する社会保障財源を確保する「税と社会保障の一体改革案」のとりまとめに尽力した。
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12年の政界引退後も報道機関のインタビューなどで財政再建の必要性について訴え続けた。14年夏の毎日新聞のインタビューでは、15年10月に予定されていた消費税率10%への引き上げを巡り、「安倍政権がたとえ政治生命をすり減らしてもやらなきゃいけないことだ」と注文をつけていた。
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