関西圧送協同組合・清田理事長とのインタビュー!

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【近畿生コン圧送協同組合を脱退した理由!】
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近圧協と近圧労組、上部団体の連帯の関係が良くわかる!
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関西圧送協同組合の清田理事長が、本紙のインタビュー要請に快く応じてくれ、18日午後から、理事長にお会いし話を聞きました。
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種々の話題の中から、本紙が特に気になっていた「何故、近圧協組を脱退したのか」の各種質問にお答えを頂いたわけだが、2時間半以上の話の中から、脱退理由の会話部分を本紙上で掲載してもよいとの許可を頂いたので、早速掲載することにした。
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文中、個人名が出てくるが、本来ならアルファベット記号で書くべきだろうが、同じ名前がいろいろ出てくるので、せめて所属と姓だけでも書かないと、文章上混濁するので書いた次第です。
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(注意・質問内容が無い方が、読みやすいと思い、質問は省きました。)
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平成20年3月、兵庫圧送協同組合在籍していた当時、大阪圧送協同組合の増田氏より大阪と兵庫で合流しないかという話があった。
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当時、大阪圧送協組は労組を使い、大阪は広域、その他はアウト、という色分けをし始めていた時期でもあります。
いわゆる協組・労組一体となった他地域への恫喝である。
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兵庫県全体で相談した結果、7社が先に合流することとなりました。
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1年前後で残りの15社ほども合流し、兵庫圧送協組は大圧協と合併し、近畿生コンクリート圧送協同組合に名称変更することにしたのです。
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加入した当初、規約・ルールが分からず様子を見ていたが、半年もすれば「連帯と近圧労組が絶対的な権力を持ち、経営者をいいように使い、協同組合から金を集金するシステムだとすぐに分かった。連帯支配下にはいり、金を上納する会社は労使一体となって、労働者の権利を守る適切な会社と謳い、金の上納を渋り労組のルールを守らなければ不適切な会社・労働者の敵として徹底的に吊し上げられ糾弾され、ルール違反として罰金を取られる。これには、ほとんどの会社は恐れをなし、正論を言えないシステムになっていたのです。
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労使が一体となって組合員各社を見張り、パトロールし、不正があった場合は直ちに労使が不正防止委員会で糾弾するのでした。
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当然不適切な会社は処分され、適切社は違反を逃れるのです。
中には飴と鞭を使い、適切社であっても糾弾される。緩んだタガを締めると称し、見せしめをするのです。これは、古くは共産主義者、部落解放同盟が良く使った手であります。
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当社は、そういったやり方は間違っている。仕事は会社が営業し、場行インの教育をし、良い仕事をする。そして従業員には、手当で給与に差をつけ、やる気を出させる。そうでなければならないと思っているので、労使一体となった同一賃金などあり得ない。労組を入れた協組運営などあり得ないのだ。
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連帯OBの理事長枠、各社に労組員を必ず置き、協組員は自動的に経営者会に加入し、多額な会費、経費を納めることになる。到底、飲めないものでした。
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このようなことで、経営者会では会の不正処理、納入会費などの無申告、連帯労組に支払った金の使途先などについて強く訴えたが、どれも無視され、あるいは“適切に処理されている”などの見当違いな回答ばかりであった。
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当社にも我慢の限界がきたため、会費等の支払いを止めたわけです。
そこから、連帯労組の嫌がらせが急加速したのです。
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協組内ルールもそうであるが、何でも労組に従う業者には甘く、違反したことまで見逃すが、労組に加担しない当社のような組合員には違反のデッチ上げ、執拗なパトロール、休日に家の近辺にまで来て見張り、平気でガレージに不法侵入し、勝手に車の中を漁り違反証拠になるようなものを探すのである。
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一例として、商流である加担業者にはゼネコン契約を結べるように計らい、加担しない業者には多くのゼネコンと商流を結ばせないように皆で反対する。
このようなルールを守れるわけがないので、勝手に営業に行くと商流違反として、きつい罰金を科せられる。その額は、50万、100万でした。
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登録台数の制限ルールでも、組合加担者は見逃され、加担しない会社は車両の廃車とペナルティが与えられる始末です。
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こんな不公平なルールは無効だし、中小企業協同組合法違反だと言っても、協組の中では反対多数で葬られてしまうのです。
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共同受注違反というルールもあり、組合に黙ってゼネコンの仕事に行ったり、先に契約したりすれば共同受注違反となります。これも組合加担者は一切ペナルティがなく、加担しない会社はペナルティが加えられるのです。
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このようなことが続き、当社の仲間も当時の理事長・増田にエム・アンド・エム㈲に同調すれば同じ目に遭うと脅され、当社も次第に孤立していったわけです。
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平成25年頃になると、当社従業員も不満がたまり、次第に連帯・近圧労に対して、連帯と同じような攻撃をしかけるようになり、恐れられていった。
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労組役員の後を付けたり、嫌がらせの電話を何百回と掛けたり、家の周りで待機するなど、普段連帯の連中がしていたことをされると、労組員たちも非常に怖がりました。
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それを見かねた「連帯の武」は、当社、連帯役員、近圧労役員に仲直りするように、和解案を出してきた。
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・登録台数の増車は一部認める。
・今までの違反は、無かったことに出来ないが、処分保留とする。
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これで水に流してくれ、と。
私は、この案に乗りました。
リーガロイヤルホテルで、連帯・武、近圧労・桑田、近圧協・増田、当社で和解しました。
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しかし、私には未だ残る「加担しない社」への差別的ルールの撤廃と経営者会の会費の削減がどうしても引けないところでした。
そこで私が、近畿圧送経営者会の会長になり、会費を大幅に削減すると言い、16年の春闘では団長になり、労組の申入れ、約束事項は反故にすると言いました。なぜなら、経営者会では労組員が居る会社をA、労組員が居ない会社をBとし、色分けをしていましたが、その実、会費も規約も一緒で、何の違いも無かったから、、。
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本来は、Aは個別交渉をし、Bは春闘にすら出る飛鳥がないものであるが、それを、ルールを守らない、労組のいう事を守らない、会費を納めない会社は全て不当労働行為で片付ける。そして、約束を反故にする者には「即行動を起こす」と脅しにかけるのです。
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この脅しに全業者は仕方なく、従うのであったが、たまたま当社のようなものが出てきて、労組も当初は一業社でも抜けると、タガが外れると懸念していたが、次第に重荷になり、遂には当社を協同組合から除名しようと行動を起こした。私も協組から脱退することは覚悟していましたが、除名される覚えはないし、必要もない。
辞めさせるなら、いつでも辞めると。
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しかし、除名されたら争うと通告しました。
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ところが、協組の増田理事長が、本来、連帯の下僕のはずが、何を勘違いしたのか近圧労組をつかい、近圧協を連帯から乗っ取ることを考えたのである。私は、これは使えると思い、連帯の武に増田のポンプ組合乗っ取りを耳に入れてやりました。
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俄かには信じなかった武も、増田の態度の急変に可笑しいと気づき始め、執行部の城野や武洋一、柳に調査を命じたが、金で買われた者たちは、増田を批判しなかったので、業を煮やした武は、ポンプ担当を城野・高から中原に変えたのである。
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これが契機で、連帯と増田・近圧協(一部)・近圧労勢力と仲たがいが始まった。
そんな中、私の除名問題が協組内で委がっていたのだが、うやむやになり、時間と共に消えてしまった。
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そして、増田理事長と一部近圧協、近圧労派の者たちの不正乗車、不正共注違反、不正商流違反が見つかり、増田のゼネコンへの不正値引きが発覚した。
金額は何千万円となり、警察問題に発展した。
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これを契機に、増田は協組を追われ、辞職することになってしまったのです。
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私は協組内の改革を断行しようと、仲間と計画しました。
理事長を経営者の協組と考える岩坂にし、私と中井が副理事長、労組色の強い会社は排除しようと考えましたが、すべては無理でした。
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そして、経営者会の改革をしようとしたところ、武がストップをかけてきたのです。
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さすがに、金の成る樹の近畿圧送経営者会からのカネを止めるには、武の了承が必要でした。武は、経営者のための協同組合という事には賛成の立場を取っていたが、資金に手を突っ込むと、態度を覆したのです。本性が出たというやつです。
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そして、例の滋賀のフジタ施工のチェリオの現場が出ます。
連帯は、全組合員にチェリオに行くなと伝令を出しました。
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しかし、私は取引のあるゼネコンから、困っているから助けてくれといわれれば行く、と公言していたので、予告通りチェリオの現場を引き受けました。
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武は激怒したと聞きました。
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そして、連帯OBのイッケン商事の豊田は、理事長の岩坂を罷免しました。
そして、私を除名にもっていったのです。
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以上が、清田理事長が語った主要な内容である。このインタビューからも、連帯と近畿圧送労組、近畿経営者会、近圧協の関係が良くわかる。
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