.
総裁選・石破に続き高市選出も「自民浮上の気配」なし!
.
野党は喜ぶが思惑違いでドタバタ!
.
高市政権「国民寄りの政治を強硬」できるか!
.
.
1年足らずで発生した自民党選出の総裁総理、地方の党員党友が先の衆参選挙で離れていった原因は、リベラルすぎる自民に物足りなさを感じ「中道よりも強い保守を」と望む声と「世界的風潮の自国主義」を標榜する弱小政党に自民保守票が流れたことに起因すると言われるが、自民本来の左から右までの幅広い議員構成で成り立っている。
.
.
どの政党でも国民審判を有利に受け「選挙で党勢を伸ばす」ことを目標として議会活動を行い、政策を立て、法律を作っている。議員は大臣、副大臣になり省庁を動かし国を豊かに導くことが政治家の仕事だと思っているはずだが、物事を進めるためには個の力ではどうにもならないことは百も承知であり、群れを作ったり、群れに加入することで自らの欲望や夢に近づこうとする。これが、派閥の原則なのだ。
.
戦後の日本の選挙制度は、中選挙区制が用いられ有権者が 1人の候補のみに投票する単記投票制で、得票数の多い順に上位から定数分の候補者が当選する選挙法だった。
.
候補者が政党組織とは別に個人支援組織を作る必要があるため、政治と財界の癒着が生まれやすい点が指摘され、社会問題化していた。同一区に同一政党が複数の候補者を擁立すことが派閥形成と金銭問題という諸悪の根源として問題視されてもいた。
.
1988年朝日新聞のスクープに端を発したリクルート事件が明るみになり、竹下内閣が倒れた。しかし、総理総裁を目指している自民党の各派閥の長にとって、自民党が敗北しても、自派閥に属する候補者が当選し、他派閥の候補者が落選すると、総裁選挙で有利となる。自民党同士の争いで、派閥中心の金権政治が続いた。最たる派閥は田中角栄の木曜クラブだった。
.
派閥とカネを改善すると同時に二大政党実現するためとして、1994年3月4日に小選挙区制が導入され、初めて行われた衆議院議員総選挙は1996年。中選挙区制の弊害を排除し、政党内候補者の争いもなくなり、金券本位の政治も鳴りをひそめるだろうと思われた。自民党内でも、離党者を出すなど激しい対立が起こった。混乱の末、1993年自民党は下野し、日本新党の細川護熙を総理とする連立政権が成立した。
.
小選挙区制での弊害も表れ始めた。「(党の)公認までのプロセスが明瞭でない。批判をかわすために公募という手法も採られているが、効果は上がっていない。公認権も選挙資金の差配も党本部が全て握っているため、党内で物が言えない。公認権がいわば脅しとなり、党本部の言うことを聞かざるを得なくなった。政治家のスケールを小さくしている要因だ。議員一人一人の面白みがなくなっている」と自民党議員も述懐している。
.
別の自民党議員は、「小選挙区では政党助成金を党が配るため、党の代表や幹事長に権限が集中しがちだ。機嫌を損ねると公認やポストがもらえないかもしれないと、意見が違っても反対しにくくなる。それが1強と言われる安倍晋三政権のような形に表れる」とし、中選挙区を経験していない議員が増えたことによって議員同士の切磋琢磨がなくなったため、「政党と政治家は劣化する」とまで言い切る。
.
.
二大政党を望み小選挙区制による選挙は導入されてから、2024年の衆院選で28年経つが、未だ実現されていない。逆に政党交付金でも足りないと自民党安倍派は議員を使い、全国で政治パーティを開催し傘下議員にパー券の販売ノルマをかけ、議員が割当数より多く販売した差額金は議員の収入とする事を長年やってきた。そのことが露見しても、反省するより50名以上の議員を公認し、公明党にも協力させたが大方は落選した。
.
旧安倍派議員で当選した議員は、禊を受けたとし、今回の自民党総裁選で総裁に当選した高市早苗総裁下の副幹事長として萩生田光一を就任させた。ことなどで、公明党が危惧していた保守系右派の代表格の総裁が従来通り「選挙の票集めに利用する」下駄の雪扱いに自民公明会談で連立解消を宣した。
.
.
.
公明党も、近年の選挙では選挙母体の公明党会員の高齢化もあり、一時期の比例選700万票とは程遠い600万票台でジりピン状態となっている。連立を組んでいる泥舟自民党と無理心中をしたくないのが実情だ。
.
自民党の行く道も険しいが、公明党も同じだ。
.
来週前半の臨時国会が開かれるのか、比較第1党の自民から高市氏が選ばれるのか、可能性が低い野党候補がまとまれるのか、、、。
.
一部から「もう一度、総裁選をしたら」という変な声が出てきているが、そんなことをしたら「解党どころか、消滅へ」向かいかねない。高市総裁、どこまで腹をくくって当たれるか正念場だ。
.
.
.
.