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独裁者毛沢東を見習っている!
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毛沢東は、独裁者として君臨するために、国民を悲惨な目にあわせたことは世界中で知っている。旧ソヴィエトのスターリンを真似たのかもしれない。北朝鮮の金日成も国民を虐殺しても同じ道を歩んでいる。
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「大躍進政策」(1958~1961年)これは、農工業の「大増産運動」。大躍進政策は毛沢東によって行われた共産主義政策のひとつでイギリスやアメリカに対抗するために行われたが、現実に即さない乱暴な政策により、農業では人民公社という農業共同体をつくり集団化し、工業でも生産性強化に突き進む。農業は破壊され、国民は飢餓に苦しんだ。1953年~57年までに実施された第一次五ヶ年計画に次ぐ政策で、 1958年~61年まで続き、これで1,000万~4,000万人の餓死者が出た。責任を感じた毛沢東は、責任を取って政治の全面から遠ざかった。
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毛沢東の後を劉少奇と鄧小平。政策は「調整政策」といって集団化の規模を縮小して余剰生産物の自由販売を認めるなどした資本主義的な政策だと非難し、毛沢東は権力を奪還する動きに出た。。
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「文化大革命」(1966~1976年)これは、約10年間続くことになる思想・政治闘争で、「知識人」など「反革命分子」の大粛清運動となる。文化大革命に動員された青年たちは社会主義を守る兵士といった意味の紅衛兵と呼ばれ、次第に拡大し、武闘を繰り広げたため、文革派ですら統制不可能となっていった。
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鄧小平は農村に幽閉され、劉少奇は拷問を受け、ろくな手当てもされずに死亡した。
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文化大革命は1976年に毛沢東が亡くなり、毛沢東の腹心である4人組が逮捕されるまで続いた。どれだけ亡くなったか公式発表はないが、40~1,000万人まで諸説あり、はっきりしません。死ななかった「被害者」は、1億人とも言われる。
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習近平が、毛沢東の再来を画策している一例として、2019年9月30日、建国70周年記念日の前日、習主席はなんと、最高指導部の面々を率いて、天安門広場にある「毛主席記念堂」を参拝したのだ。
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鄧小平の時代以来、共産党最高指導部の人々が毛沢東の遺体を安置しているこの記念堂を参拝するのは普通、毛沢東誕辰(誕生日)100周年や110周年などの節目の記念日に限ったことであって、建国記念日に合わせて参拝したことはない。
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習近平は第7代国家主席で、独裁者としては5人目である。ソヴィエトも最後は共産党支配の社会主義国家は崩れ去った。しかし、習近平は毛沢東以来権力闘争に明け暮れ国家主席を奪い取り、粛清を繰り返し、習近平も政敵を排除してきた。共産党員でなくば政権の端にも近づけない。
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習近平は、正に毛沢東時代以降で最悪の思想統制・言論弾圧・人権弾圧・少数民族弾圧を行い、AI技術を駆使し徹底した国民監視システムを構築してきた。習政権は「より国家を発展させ、民間企業が経済を主導することは許さない政策を推進し、国有企業を栄えさせ、アリババのような民間企業は国家管理課に置くような政策で圧迫し、毛沢東時代の計画経済に戻ろうとしている。
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現代の毛沢東を目指している習近平は、永世主席を目指しているのだろうが、さて何年持つだろう。急ぎ足の政権維持に、歪みはないのだろうか。危機を感じているのは、習近平だけである。
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