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企業対労組・その第1ラウンドは2010年7月2日!
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終止符が打たれたのは11月17日!
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2010年の日本経済は、2007年夏以降、アメリカのサブプライム住宅ローン等の問題が、金融・資本市場に混乱をもたらし、2008年9月のリーマン・ショックを契機に世界経済は急速に悪化した。2010年6月7日付内閣府発表の景気基準日付(暫定)によれば、我が国経済は、2007年10月を山に景気後退局面に入った後、2009年3月に谷を付け、拡張局面へと移行した。この2009年春以降の拡張局面は外需と政策効果に牽引され、2010年夏には、猛暑効果も加わったが、輸出の弱さが明確になり、急激な円高が企業マインドへ影響を及ぼし、先行きへの不安が生じた。
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経済持ち直しが見えた頃合いを狙って起きた大手ゼネコン、セメントメーカー、大手貿易商社の建材部門と連帯ユニオンとの組織拡大のつばぜり合いはアヒルの水面下の足のように激しく動いていた。
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工事の労務単価には関心は寄せるが、建材のセメントや生コンの単価には厚労省も国交省もあまり関心がなく、官公庁も生コン価格について積算は前年度に横並びであった。
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このような背景で、メーカー・商社・ゼネコンは値を叩き、組合や工場は「数量獲得にしのぎを削っていた。生コン工場数を押さえていくことがシエア争いに勝つことでもある。
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連帯は、各工場の現状を睨み、連帯組合系に加入するよう街宣も威圧も繰り返し、系列下に入らない独立工場(組合加入はイン、未加入はアウト)だけで組合を作り連帯が応援し、協業化を図っていた。連帯も、大阪市内から大阪府下、兵庫県下へと勢力を拡大していた。
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この当時の大阪広域生コン協組はメーカー系の役員が占め、連帯とは対極にあった。お互い、対極にあり、シェアを拡大していたのも事実である。
利害については対立しても、セメント系の大阪広域は、自組合を嵐の場にしたくないという思惑で、賦課金を1m3あたり100円払っていた。たしか、この当時で大阪広域の扱い量は260万m3のはずで、金額にして2億6000万円は大きかった。
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ある意味では、連帯ユニオンの友好団体でもあったが、連帯系の生コン工場と大阪広域協組の生コン工場では数量の扱いが違う。近畿圏内の大手ゼネコンの生コンは大手商社が取扱い、単価は厳しい状態であった。たとえ連帯系が取れたにしても窓口は商社である。
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このようななか、生コン工場を連帯傘下に収めても、セメントは高値押しつけ、生コン販売価格は商社手数料を引かれ、工場は貧乏暇なしという状況だった。
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2017年7月2日、連帯が以前から通知していたストライキへ突入した。このストの狙いは各社、各協組に春闘でのストライキを実行することで、メーカーやゼネコンに1m3・1万8000円の価格値上げを飲ませるKとである。
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従来はある意味友好的な関係にあった大阪広域協組に対しても、連帯3労組(連帯ユニオン、生コン産労、全港湾)が無期限ストを通告したことで、対決は鮮明になった。
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7月5日、阪神地区生コン協組、7月6日に近畿バラセメント輸送協組も無期限ストを通告。近畿圧送経営者会に対し、圧送労組と連帯ユニオンは7月12日から無期限ストに入ると通告。
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このストライキは「主敵はセメントメーカーやゼネコン」と狙いを定め個別の生コン工場を狙ったものではないとしており、各組合加盟の工場は早く連帯ユニオン傘下の協組に入るようにとの無言の圧力も加えている。
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週刊ダイヤモンド(2010.7.9)の記事でも「大阪府内で、すべての土木建築工事がストップする」という異常事態が間近に迫っている。府内で営業する生コン業者、輸送業者が全面ストに突入しているからだ。
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記事は
最近生コン業界は「原価割れで生コンを出荷」している状態で、連帯の話によると「大阪広域協の場合、組合員のセメントの購入価格は1m3当たり1万4800円。生コンの販売価格は、酷い時には1万円を切る価格で取引されている」。国内の建設投資が冷え込む中、建設資材の価格圧縮要求は年々高まり、生コン業界がついに反旗を翻した。と伝える。
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このストライキ、中堅前根の多くは値上げ交渉に応じ、同意したことによりそれらの現場ではストを解除し、生コンを搬入している。
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7月12日からストに突入最多近畿圧送労組は、経営者側の要求受諾意思によりストを解除。連帯は、労組に敵対的な「関西宇部セメント」でさえ、ストを受け入れたと大宣伝。
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大阪広域協は確か、6月の生コン値上げについて、理事会でも決議していたが、値上げ決議を撤回する決議をするという話も出ていた。それは、理事の大半がセメント系の出身であり、大企業系列下の理事は親会社の威光には逆らえないという事情も絡んでいる。(現在の大阪広域協組とは理事構成がまるで違っている)
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連帯に取り、的を絞って攻めることと、大手企業を前面に出すことで「勝てる戦に持ち込めたときに、連帯が生コン関連業界で主役となり、雪崩を打って連帯傘下の組合に参加したり、新たな組合結成に持ち込める」という思惑も絡んでいた。
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ターゲットは大手ゼネコンの工事案件であり、そこを攻めることで大阪広域協組にも圧力を掛けれることになり、このまま大口出荷が停止されたら大阪広域傘下の組合加盟工場がつぶれるという危機感を与え、値上げ同調に戻す作戦でもある。
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大阪と言う地域限定で見るなら、特異な現象であった値上げ戦争でもあった。これが、東京であったら「生コンストップ」ができたであろうか。「JR大阪駅北側の梅田北ヤード開発」も生コンがストップし、ついにマスコミも取り上げるという大事件に発展した。
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記事としては、中小にも影響が表れ、「出荷停止の影響は左官、土工、鉄筋など大阪府下の建設業者30万人に及ぶ深刻なものである」と報じた。7月2日のスト突入依頼、4週間を経ても解決の糸口は見えていない、時間経過とともに、労組か、ゼネコン・セメントメーカーかという構図になってきた。7月29日、ストはポンプ圧送組合がストに参加が通告され、生コンが現場に到着してもポンプ圧送ストにより生コンを捨てるか、持ち帰らせるかしかなくなるという打撃を竹中工務店が喰らった。
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竹中工務店が大阪広域協組以外の工場から仕入れるにしても、大阪広域傘下の工場と同じ価格にしなくては、現場としては赤字成る。なら、新たな工場がそれを承知で赤字を被るかである。竹中工務店が赤字を出してもという頑なな態度がスト長期化の原因でもあった。
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このストライキは11月17日、3労組と大阪兵庫生コン経営者会が値上げ等で大筋合意(細目は11月末までに詰める)し、18日にストを解除する。
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11月17日、3労組と近畿バラセメント輸送協組も大筋合意し、ぽんぽあっ層も18日には交渉の席に着いた。
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第1ラウンドは、連帯側の勝利として一応終止符が打たれた。
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