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3年ぶり首相交代!
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決選投票含め2回投票!
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オーストラリアの与党・自由党は8月24日、キャンベラで開いた党議員総会で党首選を行い、モリソン財務相(50)がダットン前内相(47)とビショップ外相(62)を破り、次期首相に決まった。与党の支持率低迷が続き、党内基盤が揺らいでいたターンブル首相(63)は、党首選に立候補せずに退陣が決まった。3年ぶりの首相交代となる。
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モリソン氏は社会サービス担当相や移民・国境警備相を歴任した後、ターンブル政権の3年間では、主要閣僚の財務相を務めた。ターンブル氏を支える姿勢を示していた。
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党首選は上下両院議員による投票で行われ、1回目の投票でビショップ氏が脱落。決選投票で、モリソン氏が45票を得て、40票のダットン氏を破った。
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首相を退くターンブル氏は8月21日にあった議員総会で、ダットン氏を対抗馬に担ぐ動きに機先を制する形で党首選に打って出て、ダットン氏を退けた。だが、その後も党内の辞任圧力は収まらず、24日、過半数の党所属議員の要求を受けて議員総会を招集した。総会冒頭で異例の週内2回目の党首選実施が決まると、自身は立候補をしなかった。
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モリソン氏は総督の任命を得て首相に就く。
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ターンブル氏は24日、党所属連邦議員(85人)の過半にあたる43人の署名が集まったことを受け、臨時の議員総会を開催。豪メディアによると、45人の議員が賛成し、党首選を実施した。
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ターンブル氏は2015年9月、前首相のアボット氏に党首選を挑んで勝利、首相に就任した。資源ブーム終息後の豪州で大型インフラ投資などを行い景気浮揚を図った。ただ、温暖化対策などエネルギー政策を巡り与党内からも反発を受け、支持率が低迷。19年5月までにある総選挙での苦戦が予想され、指導力を問う声が上がっていた。
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党内基盤の弱体化を受け、ターンブル氏は21日に党首選を実施。48票を得て35票のダットン前内相を下した。ただ、僅差での勝利に閣僚らの離反が相次ぎ、再度の党首選のための議員総会を求める声が出ていた。
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身内がひそかに裏切ることを英語で「back stabbing」と言う。「背中から刺す」という意味だ。これに対して豪首相の地位をかねてから目指していたマルコム・ターンブル氏がトニー・アボット党首にやったことは、「front stabbing」(正面から刺す)に等しい容赦ない攻撃だったと言われ始めている。
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アボット首相の指導力に閣僚や与党議員が不安を抱いているようだという噂が流れ始めたのは9月2週目のことだ。
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アボット氏が解任したがっている閣僚のリストがリークされ、多くの怒りを買ったと報道された。2015年9月14日に大手2紙が発表した世論調査では、西オーストラリアで19日予定の中間選挙で与党が大敗する可能性が指摘されていた。
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14日午後に首相の指導力を問いただしたターンブル通信相は、容赦なかった。
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ターンブル氏は記者団に、もしアボット氏が続投するなら来年半ばに予定される総選挙で自由党と国民党の保守連立は敗北すると断言。国の経済運営に首相は指導力を発揮できず、経済化の信頼を失い、国が直面する課題とチャンスについて国民に説明せず、行き当たりばったりの政策のみ追求したと、歯に衣着せず批判した。
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しかし連立政権では首相交代は、ひとつ前の労働党政権による党首交代劇の大失敗の二の舞になり、危険だと警告。労働党政権の副首相だったジュリア・ギラード氏はケビン・ラッド首相を追い落としたが、2013年の総選挙で国民にそっぽを向かれたのだ。
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政府は2年前、強気姿勢で1期目を開始した。選挙公約通り、「炭素税」と呼ばれた労働党政権の温室効果ガス排出元への課税を廃止。石炭・鉄鉱石の売上利益への税率30%課税を廃止した。
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移民対策の強化を掲げ、インドネシア移民を乗せた船を追い返すなどして、亡命希望者の流入を阻止した。
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一連の対応は国民に支持されたが、「船を停めた」「税金をカットした」と何かと繰り返す首相の言葉は次第に効力を失っていった。
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厳しい緊縮財政措置を十分に説明できず、敵対的な上院で予算削減案をすべて通せなかったことも、支持率の低下に反映されていった。
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国民が近所の病院にかかるたびに7豪ドル(約600円)ずつ追加徴収されたり、大学助成を大幅削減したり、若者が失業手当を受け取れるまでの待機期間を長くしたりという政策措置も、不人気だった。政策をたびたびひるがえしたことも、アボット氏への信認を傷つけた。
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2015年2月にも首相辞任を求める動議が党内から出されたのも、そういう理由からだった。当時は動議が成立しなかったのは、自由党議員の過半数がほかの候補を受け入れたくなかったからで、アボット氏は代わりに状況を立て直すと議員たちに約束した。
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しかし行き当たりばったりに見える相次ぐ独断がとことん不人気に終わり(もっとも叩かれたのはエリザベス英女王の夫エジンバラ公にナイト爵位を与えるという今年1月の発表だった)、アボット氏はもっと周りの同僚に相談すると約束していた。リーダーとしてのその首相は常に党の内外から不満を呼んだ。
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野党党首としては、言いたいことをはっきり言う政治家として有名だった。たとえば2010年にアフガニスタン駐留豪軍を訪問した5カ月後、死亡したオーストラリア人伍長についてこう発言したのをマスコミに記録されている。
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「時にはクソったれなことになるのは、分かってたことじゃないか」
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首相になってからはこうした失言のないよう、スタッフに厳重に管理され、そのせいか「船を停めた」などと政府の公式見解を何かと繰り返す言動が目立った。
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それでもアボット氏は自分の政策が正しいと、国民を納得させることができなかったとされるし、まさにターンブル氏が容赦なく攻撃したのもそこだった。
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14日に党首の座を争うと告げたターンブル氏は、「スローガンはいらない。支持できる主張こそ大事だ」とくぎを刺したのだ。「オーストラリアの人たちの知性を尊重しなくてはならない」
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