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2018年4月13日

中国の「不良債権」:「大き過ぎる」債務と中国政府!

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正確な不良債権の額すら把握できていない!
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対外債務残高・193兆円!
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内外債務総規模は4412兆円を上回る!
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中国の経済は安定しているように見えるが、問題として懸念されるのは、膨らみ続ける債務の問題である。「不良債権」なのだが、中国政府の言い分では、「不良」ではなくあくまで「大き過ぎる」債務なのだそうだ。
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欧米の不良債権問題への対応はシンプルで、回収可能性を国際的な会計基準から判定し、回収不能となれば債権償却する。このプロセスには裁量の余地は少なく、機械的に処理していくだけだ。
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ところが、中国の過剰債務に関する処理は国際基準から程遠く、中国は会計基準も国際的に見ると遅れている。
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証券市場には適切な会計基準が不可欠だが、中国の証券市場には根本的に根付いていない。資本主義国の証券市場では企業による自由な証券の売買が認められているが、中国では「管理されるべきもの」との考え方である。
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証券市場の発展は国有企業の民営化をもたらすものなので、一党独裁かつ社会主義の中国では、なかなか国際標準化しない。
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正確なGDPの統計も持たない中国では、当然会計基準も国際レベル未満だし、結果として正確な不良債権の額すら把握できていない。
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中国の公式統計では、金融機関が保有する資産の2%程度が不良債権額としているが、海外のあるシンクタンクによればその10倍に膨れ上がっていると指摘される。
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習近平政権において、経済人事に重点を置いた風には見えるが、内実はボロを出さずにどうにか出来ないか、地方政府や国有企業の負債処理を表面化させない方策は無いかに腐心する人事だ。李副首相が隅に追いやられたのも、不良債権問題で口を開かれたら困るという習主席の苦肉の人事だろう。
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地方債務について、肖捷財政相は、地方政府の債務の管理強化を続ける一方、システミックな債務危機の回避を「完全に確信」していると述べた。
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地方債の発行を妥当な水準で割り当て、「無秩序な」資金調達の取り締まりを続ける方針を示した。
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中国の地方政府の資金調達と拡大する債務水準は、当局者の頭を悩ます問題となっている。中央政府は、地方政府下の投資会社への暗黙の保証に対する期待を取り除こうとしている。
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財政相は「債務の責任は自らが負うべき」と述べ、こうした措置がシステミックな債務リスクを回避すると自信を示した。
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また、GDPに占める政府債務の比率について、今後数年大きな変化はないとの見通しを示した。
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中国の政府債務は2017年末時点で29兆9500億元(4兆7300億ドル)。GDPに対する比率は36.2%で、16年の36.7%から低下した。
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「巨額の債務が中国の金融システムを脆弱にしていることは、周知の事実だ」。中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁は最近、このような発言をした。
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中国の債務問題の大部分は、中央政府と地方政府との関係がうまくいっていないことから来ている。両者間の緊張の高まりによって、2015年には債務残高が金融システムを脅かす危険水準にまで達した。その後、ルールが変更されたことでしばらくは問題が解決されたかのように見えたが、映画「高慢と偏見とゾンビ」のごとく、恐怖は再び死者の中からよみがえった。
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中国はあまりに巨大な国であるため、中央と地方との間に、常に問題が横たわっている。ここ数年間、中央政府は地方政府に対して統一の必要性を強調してきた。地方政府が過分な自治権を謳歌していることを苦々しく思い、その管理を強化しようとしている。これに対し地方政府は反発を続けている。
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2018年1月25日付の中国共産党機関紙、人民日報によると、国政助言機関、人民政治協商会議(政協)第12期全国委員会常務委員会は24日、次期政協委員の名簿を決定した。名簿には党序列4位の汪洋副首相が入っており、3月に開催予定の政協会議で汪氏が主席に選出される人事が事実上、確認された。
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2013年から政協副主席を務めていた中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁の名前は名簿になかった。周氏は、人民銀総裁の在任期間が15年を超えており、総裁も近く退任する。
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後任総裁について、全国人民代表大会(全人代)は3月19日、易綱(イーカン)副総裁を昇格させる人事を承認した。15年にわたって人民銀を率いてきた周小川氏の後任となる。
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2018年1月4日、中国国家外貨管理局は、2017年9月末時点の中国の対外債務残高が約11兆1498億元(約193兆円)で、1兆6800億ドルに相当と発表した。人民銀行(中央銀行)が2017年7月に更新した『2016年12月資産負債表』によると、対外債務を含まない中国の総負債は244兆元(約4221兆円)。

両者を合わせると、中国の内外債務総規模は約255兆元(約4412兆円)を上回ったことが分かった。
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強大な権限・内閣人事局:人と組織の主計局!

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省庁幹部の人事権を取り上げた!
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内閣人事局は、平成26年の第186回国会(常会)において可決・成立した国家公務員法等の一部を改正する法律において規定され、同年5月に設立された国家公務員の人事制度を所管する機関である。
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「人事」とその組織名に付いてはいるが、民間企業の人事部のように一括採用を行うわけではなく(採用試験は人事院、採用は各府省)、国家公務員の人事制度の根幹である国家公務員法を所管して制度の企画立案を行う他、幹部公務員の人事の一元的管理や、公務員の給与制度、行政機関の組織や定員管理といったことを担っている。
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簡単に言えば、各府省の幹部人事、それに組織やその在り方、職員の数をどうするのか、給与の在り方をどうするのかといったことを一手に引き受け、担っている「強大な権限」を持つ組織ということである。
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少し補足すると、まず幹部人事。この幹部というのは本省の部長や審議官以上の、指定職と言われる官職のことで、上は事務次官クラスや長官まで。その人事をどうするかをこの内閣人事局が担っているわけである。
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また、政策の企画立案、そして執行には予算とともに人と組織が不可欠であるが、国の行政機関については、組織や組織の定員は法令で定められていて、簡単に部や課といった組織を作ることもできなければ、人を増やすこともできない。新しい組織を作る場合や定員を増やす場合は、根拠となる法令の改正によって手当てすることになるが、その前提として内閣人事局による査定を経なければならず、ここで認められなければ、そもそも新しい組織を作ることも定員を増やすこともできない。内閣人事局は「人と組織の主計局」と言ってもいい側面も持っているのである。
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内閣人事局はゼロからいきなりできた組織というわけではない。

その前身は、人事院の一部、総務省行政管理局の査定(組織や定員管理)部門、人事・恩給局の旧人事局関係部門であり、幹部人事に関する事務等が新たに設けられてはいるものの、基本的にはこれらが統合されてできたと言っていい。分散していた国家公務員人事制度に関する組織および権限を、一つの組織に集中させ、強化したということである。
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過剰な「忖度」を生む原因とされているのは、内閣人事局と内閣、特に内閣総理大臣や官房長官との関係である。
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幹部職員となるためには内閣総理大臣による適格性審査を経ることとされており、その結果、幹部職員として必要な「標準職務遂行能力」を有していると判断されれば、幹部候補者名簿に掲載される。
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この名簿から各府省の幹部が任命されることになる。「適格性審査」は随時行われるので、場合によっては幹部候補者名簿から外されるということも起こりうる。こうした内閣総理大臣の権限は内閣官房長官に委任することができる。各府省の人事権者は各大臣であるが、幹部職員の人事については内閣総理大臣および内閣官房長官と協議した上で行うこととされており、幹部人事は大臣の一存で決められない仕組みになっている。
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このように国家公務員の幹部人事については、微に入り細に入りと言っていいほど、内閣総理大臣や内閣官房長官が関与するようになっている。
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こうした事務を司るのが内閣人事局なのであるが、彼らが内閣総理大臣や内閣官房長官の意を汲み取って、ある意味「忖度」して業務を進めることはあったとしても、内閣人事局という「組織の存在自体」が幹部職員を含む国家公務員における「忖度」を生んでいるというのは、こうした仕組みを正しく押さえた上で考えれば、「議論の飛躍」と考えた方がいいように思う。
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むしろ問題とすべきは、内閣人事局という組織そのものではなく、国家公務員の幹部職員人事における内閣総理大臣等の「権限の在り方」であり、幹部職員の「位置付け」であろう。
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国家公務員人事制度を担当する部局や行政機関の機構・定員の査定を担当する部局を、一つにまとめようという動きは過去に何度かあった。それが紆余曲折を経てなんとかカタチになったのが内閣人事局である。
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国家公務員の立場からすると、指定職への昇任を考えれば、そのためには幹部候補者名簿に掲載されることが必要となれば、その判断をする内閣総理大臣や官房長官の目を気にするというのはある種当然のことである。
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国家公務員が「上の目」を気にするというのは今に始まった話ではなく、昔からある話で、「公務員の習性」のようなものであると言っていいだろう。

現状での幹部職員人事への内閣総理大臣等の関与は、そうした「公務員の習性」を逆手に取ったものと言えるかもしれないが、標準職務遂行能力なるものをメルクマールとして、「幹部職員として職責を担うのにふさわしいか否か」の判断まで内閣総理大臣の権限に係らしめるの、「やりすぎである」との批判は免れえないだろう。
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もっとも、内閣人事局の設置を含む国家公務員制度改革は、元々は内閣としての政策の企画立案から執行までを効率的に行うのみならず、その効果を最大限発揮させることを企図して検討が進められてきたものであり、国家公務員の幹部職員人事について、内閣総理大臣がある程度強い権限を持つことについては、否定されるべきものではない。
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一方で、内閣とのある種の一体性を考えるのであれば、幹部職員はこれまでどおりの一般職ではなく、身分保障のない、各府省の人事から切り離された「特別職」とすべきであり、そうなれば職員自らがリスクを取ってその職に就くことになるため、「忖度」による弊害の生じる余地は限りなく小さくなるはずだ。
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例えばフランスの大臣官房の幹部職員はそうだし、日本でも、これまでに退路を絶って政務の総理秘書官や大臣秘書官(いずれも特別職)に自ら転じた例はある。
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幹部職員を特別職とすることを含む国家公務員法の改正案を立案し、国会に提出したのはかつての民主党である。
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しかし、日本の国家公務員の幹部職員の人事制度では幹部職員は一般職であり、これまでの人事に内閣総理大臣等が強く関与するようになっただけのような形であれば、今後の自らの人事、処遇を懸念して、過剰な「忖度」や「忖度」による弊害が生じるのは「自明の理」とも言えるのではないか。
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「特定の組織」を悪者に仕立て上げるというのは世の常のようなところもあるが、つまるところ、「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「忖度」問題、過剰な「忖度」による弊害は解決しないだろう。
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「忖度」を完全になくすことは不可能であろう。
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