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グレーも大事ではないか!
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読売新聞5月29日の朝刊に「論壇誌5月」という記事があり、”「グレー」なき物事の捉え方”という題名で記事が出ている。以下、全文を記す。
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物事にはグレーな領域があるのに、すべてを白か黒かで考えるのは危険ではないか。東京都の築地市場移転問題から北朝鮮問題まで、論壇では、捉え方が極端になりがちな昨今の傾向に懸念が示されている。(文化部 小林佑基)
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築地市場の豊洲移転問題を巡って、環境リスク論の中西準子氏は「ゼロリスクの呪縛から逃れられない日本」で、そこに見られる安全観に疑問を投げかける。豊洲市場の地下水からは汚染物質が検出されたものの、市場では一切使わず、摂取経路もないため、安全は科学的にも法的にも担保されている。なのに問題がこじれているのは、「リスクはゼロ」であるべきだという信仰があるからだという。我々の生活にゼロリスクはなく、リスクをある程度覚悟しなから生きていく以上、「全体のリスクが最小になるように、プラスとマイナスのリスクのバランスを取ることが最善」だと訴える。
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この問題では、小池百合子都知事と都議会の不健全な関係にも懸念が示されている。前鳥取県知事の片山善博氏は対談「小池百合子、偽りの都民ファースト」で、首長と議会は個々の案件で是々非々の議論が必要なのに、全面支持架全面否認の「ゼロか一かのデジタル的になってしまうと指摘。
また、都知事は都議会を意のままに出きるようにしているとし、自らが批判してきた「癒着体質に根差した不透明な都政の温床」になりかねないと危ぶむ。
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ゼロかイチかは豊洲問題に限らない。アルピニストの野口健氏は「登山で死なないための教訓」で、栃木県で登山講習中の高校生ら8人が雪崩に巻き込まれ死亡した事故を受け、県教委が高校生の冬山登山禁止を検討していることを批判。危険のない登山はないとし、「危険ゼロを望むのであれば、山に登らない方が良い」と記す。
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危険を避けていては危機管理は考えられず、状況判断を謝れば夏山でも死に至るとし、登山リスクを季節で区切ることを無意味と強調。「最悪の事態」を常に念頭に置く重要性を訴え、一律禁止は安易だとした。
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北朝鮮情勢への対応や憲法論議でも、極端にふれる傾向に懸念の声が上がっている。岩永俊道、香田洋二、山口昇の元自衛隊幹部3氏は、鼎談(ていだん)「第三次世界大戦も杞憂ではない」で、北朝鮮情勢が緊迫化する中、韓国の邦人救出などの議論がない現状を問題視。「普段安全保障について考えていない人たちほど、極端に振れやすい」(山口氏)とし、何かのきっかけで突然、「北朝鮮を攻撃せよ」との世論で日本が一色になりかねないと危ぶむ。思い指摘だろう。
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憲法論議を巡っては、憲法学の宍戸常寿氏が、「これまでの憲法論議に書けていたこと」で、護憲派と改憲派の双方に「国家・国民が自己のあり方を完全に支配し、そうこうどうすべきであるという誤った全能神的想定」があり。憲法をその道具と考えてきた嫌いがあると分析。双方が、「憲法と国民に対する自己の理解の無繆性(むびゅうせい)」を信じるがゆえに、憲法に対する国民の意識が複雑かつ多様であることへの配慮が欠けてきたと批判する。
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評論家の西部邁氏は、現代社会の基礎とも言える「合理主義」を、根本から疑う必要があると問いかける。「安倍首相よ、プラクティカリズムの空無をしるべし」で、歴史のほんの一瞬を生きるだけの人間が、合理主義を掲げることで、全体に関する説明が可能になると考え始めた都市的。そして、不完全性を自覚せず、合理的に説明しきれない「感情」や「慣習」の大切さも顧みない軽薄さは、必ず危機をもたらすとする。
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自分(たち)は間違っているかもしてないーーー。そんな内容が、これまで以上に求められている時代なのではないか。
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