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蔵内謙の推薦人・井上忠敏県議!
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井上県議をフォローした大家敏志・参院議員!
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参議員選が始まり、自民党関係者は大家のトップ当選に向け走りまわった。一方、鳩山二郎側は地元と東京での「鳩山邦夫お別れの会」の準備に終始し、後継問題は一時棚上げされた。
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参議員選も終わり、お別れの会も終わった7月13日、故鳩山邦夫の後継を決める選考委員会がいよいよスタートした。選考委員会第1回目のこの日は具体的な候補者名は出されなかったものの、選考の目安として「地元6区に縁のある人」「6区内の4つの自民党支部から候補者の推薦を挙げてもらうこと」「7月中には結論を出すこと」などの方針を確認した。委員会後に松山政司委員長がそう答えている。
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第2回目は7月22日に行われた。各支部からの推薦(自薦も含む)候補者を確認した。4つの内の久留米を除く3つの支部が「鳩山二郎」を推薦した。久留米支部からは「原口剣生、十中大雅」両県会議員と即戦力の観点から「松山政司、大家敏志」両参院議員の名が挙がった。翌日のマスコミ報道を見て、次回会合では4つの支部から出てきた6人の候補者から絞り込みが行われるものと有権者は思っていた。
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3回目は7月25日に行われた。絞り込むと思われていた候補者が、逆に2名追加されるという結果になった。追加されたのは農林水産大臣を務めた山口県選出の林芳正参議員とこの林議員秘書で福岡県政のドン・蔵内勇夫の息子・蔵内謙であった。
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なんとも奇怪な話だ。4つの支部からの推薦候補の絞り込みどころか、逆に2人増えるという事になったのだ。8人となった候補者を1人に絞り込む第4回選考会は7月29日に行われた。最終的に選考委員会は、全会一致で蔵内謙を推薦決定した。
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この決定によって6区内に衝撃が走った。「何で蔵内の息子なんだ。鳩山の息子ではなかったのか?」との声が、あちらかも、こちらからも上がった。「二郎に決定」と結論が出ると思っていた有権者が圧倒的多数だったからだ。
しかし、以外にも少数ではあるが「原口剣生じゃなかったの?」との声もあったのだ。選考委員会は途中まで原口剣生で決めようとの流れがあったと事情通は言う。「原口は本当は息子の隼人にさせたいが、今回は無理だ。それなら、自分が立って将来に繋げよう、そう思っていたはずだ。しかし、去年、自民党福岡県議団会長になったばかりであり、息子・隼人のためとはいえ、みすみす手渡して言いもだろうか。60歳を過ぎてから国会へ行って雑巾がけからできるのかと相当に悩んでいたのは事実だ。」そのような原口の苦悩を逆手に取り、策を講じたのは大家敏志であった。
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前出の事情通はいう。「原口は自分が一言アドバイスすれば最終的には降りる。とすれば、誰かを選考に加える必要がある。瓢箪から駒が出るかもしれないと言って大家は蔵内親分に謙の名前を挙げますよとゴマをすったんですよ。」更にいう、。「大家は県を連れて麻生大臣のところへ行ったのです。麻生から「頑張れ」と言われたとマスコミに喋ったものだから、それが新聞に出た。そのようなことを聞かされていなかった原口は新聞を見て愕然とした。推薦候補者は蔵内謙、事実上決定したと言える瞬間だったろう。
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最終4回目の選考委員会では適当な意見交換の後、出馬意思がないことを表明した5名を除き、蔵内謙と鳩山二郎の2人に絞り込み、最後の局面を迎えた。井上忠敏県議から蔵内謙を推す弁。さらにはそれをフォローする大家。ここで松山委員長から、「それでは全会一致で蔵内謙を候補にすることで党本部へ公認申請することでよろしいですね」(異議なしの声あり)。
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農政連の田中嘉徳は組織に持ち帰りますとの発言をするも、結果として「蔵内謙に前回一致として決定」とマスコミ発表した。というのが真相である。
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鳩山邦夫のおひざ元の県議たちも、ドン蔵内勇夫の威圧に屈し、何一つものも言えない。自民党の地元支部をも無視した出来レースがこの選考委員会の流れであった。
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