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簡単に占領できると侮った挙句!
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やはり空爆が必要だった!
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2021年12月3日付のワシントン・ポストで、「ロシアが22年早々にも17万5000人規模の部隊によるウクライナ侵攻を経過している」と報じた。
その後も、侵攻開始が2月16日に計画されていることを暴露。
ロシアは15日に一部部隊を撤退させつと発表したが、米国は「実際には再配置である」と発表し内容を否定。
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2月24日に侵攻された攻撃規模等の内容は、米国が発表していた通りで、部隊規模を多面作戦で展開されたことは米国側が長期的に動向を把握していたことを裏付けている。
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これらの情報はウクライナ側にも知らされ、ロシアの侵攻直前にはウクライナにも知らされていたが、ゼレンスキー大統領や軍は信用せず準備を怠っていたことが指摘されている。ロシアにしたら、地面が凍っていれば戦車などの重量車両はウクライナのぬかるみに嵌らないで進軍できる。
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ロシア側の侵攻作戦で、米もNATOもウクライナの周辺国も、ウクライナが短期間で負けると思っていた。数少ない航空機や米側からの武器援助備蓄基地など主要施設が壊滅的攻撃を受けた。
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米やNATOが不思議に思ったのは、ロシア空軍による徹底した爆撃がなかった事である。残ったウクライナ軍の装備は第二次大戦の使い古しの武器と米側の余剰対戦車ミサイル・ジャベリンなどの供与であった。
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ところが、忘れかけていた武器がヘリ撃墜や戦車撃破に絶大な威力を見せ、侵攻してきたロシア陸上部隊に威力を発揮しロシア軍に被害が生じ始めた。ロシアも7日、10日と一気呵成に攻め込んだがウクライナ各地で頑強な抵抗をうけ侵攻作戦にばらつきが見え始め、ウクライナ軍も侵攻部隊の地域司令官の狙撃を始め数名を狙撃し、部隊指揮系統の乱れ誘発させた。これはロシアの通信網が前近代的であり、中には携帯電話を使用しており傍受可能となり、狙撃対象を絞れたという。
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いつの世でも、侵略軍は簡単に勝敗が付くと考えて作戦を立て、軍隊を動かす。しかし、大抵は机上作戦と実戦では大きな違いが出てくる。思わぬ作戦のミスが戦費と武器・兵員の大量投入につながり、比例して損害も大きくなるという失敗ケースにつながる。
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米軍もロシア軍も、過去の侵攻で安易に勝利した例は少ない。ロシアは1991年12月のソ連崩壊後のロシア連邦もチェチェン独立を承認せず、チェチェンに内務省管下の国内軍(NKVDの後身)を送り込んだが返討ちに遭って撤退した。1994年12月、ロシアは国内軍に連邦軍(国軍)をも加えて、チェチェンへ本格的に侵攻、更に首都グロズヌイへ無差別爆撃を加えて多数の民間人を殺傷した。
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1994年12月、ロシアは国内軍に連邦軍(国軍)をも加えて、チェチェンへ本格的に侵攻、更に首都グロズヌイへ無差別爆撃を加えて多数の民間人を殺傷した。
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2014年のウクライナにおける政変で親ロシアのヤヌコーヴィチ政権が崩壊し、親欧米の暫定政権が発足したことに対して、クリミアのロシア系住民が反発し、2月27日、クリミア自治共和国最高会議(議会)を親露派武装集団が占拠した(、とされているが、実際に占拠したのはロシア軍特殊部隊と思われる)。
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3月1日、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンがロシア系住民の保護を口実として、ウクライナへのロシア軍投入の承認を上院に求め、上院がこれを全会一致で承認すると、3日、ロシア軍をクリミアへ「進駐」させた。
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これに呼応して、既に親露派により乗っ取られていたクリミア議会は、3月7日、ウクライナからの分離とロシアへの編入を求める決議を採択し、ロシア連邦編入の是非を問う住民投票を3月16日に実施することを決めた。
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3月16日、ロシア編入の是非を問う住民投票が行われ、編入「支持」が96.6%と圧倒的多数だったため、翌17日にクリミア議会はウクライナからの独立を宣言し、ロシアへの編入を承認した。
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この「結果」を受けて、18日、プーチンはクリミアを独立国家として認める大統領令に署名し、21日にロシア上院は、クリミアを自国に編入する条約を満場一致で批准し、クリミアは「クリミア共和国」に、セヴァストーポリは「セヴァストーポリ連邦市」としてロシアの連邦構成主体(クリミア連邦管区)となった。
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ウクライナ周辺で~人民共和国と称するロシア介入の領土収奪は、今回のウクライナ侵攻における東部4州の支配も、ロシア主役の共和国設立か直接的なロシア領とすることが目的だ。
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ウクライナが反撃しようにも東部まで武器弾薬をどう運搬するのか、1000㎞もの距離を空輸するだけの航空機と護衛の戦闘機、ミサイルの数がぜろである。陸上輸送にしても、ロシアのミサイルの標的にされるの落ちで米欧の武器供与が有効に使用できるのは、中距離ミサイルを大量に東部の標的に撃ち込む以外方法はないだろう。が、住民被害がゼロではなくなり国際世論の批判の的にもなりたくないだろう。
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5月25日のロシア占領地域
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ゼレンスキー大統領、いよいよ正念場に近づいている。
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