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   2022.01.26.
  1985年バブル突入:バブル後の建設不況はいつ始まった!
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大型倒産は1993年村本建設が第1号 5900億円!
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第2号は1997年の東海興業 5110億円!
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 まず本論に入る前に、1986年から始まるバブル景気から2008年のリーマンショックまでの経済の動きを見てみたい。日本の経済は「アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪をひく」と言われてきた。日本が世界経済を引っ張った例は一度もなく、米国の影響下で右往左往しているのが現状だ。
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 前回の輸出品目の首位が自動車で、半導体、自動車部品、計測機器、プリント基板、内燃機関と続く。これら6品目で輸出の30%を担っている。日本企業の現地生産が進み、造船も、鉄鋼も、土木機械も日本の重要輸出品目でなくなった。
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 歴代、日本の政権の戦略は資源調達は輸入一辺倒であり、鉱物資源、石油・ガス・石炭資源であれ、海外投資の三セクや商社、プラント開発会社経由で資金を投入してきたが、中東やロシア事業はことごとく失敗し、半導体事業も見るも無残な有様である。
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 100年先を見越し国が投資するのではなく、企業を育成し力をつけさせ資本を投下するはずが、イランの石油も、ロシアの天然ガス・石炭開発も、半導体もアメリカの顔色を窺い、政治的判断だと言って撤退している。
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 建設業界は1990年代に建設投資が80兆円を超えたのだが、1993年のバブル崩壊で建設不況となり、2008年のサブプライム破綻でリーマンショックが起き、日本経済もどん底に落ちた。10年には建設投資額が半減し、11年の東日本大震災で復興特需が発生し、12年に自由民主党政権を奪取し「国土強靭化」の大号令で公共事業を増やした。過去の不況期で何を教訓にしたのか、現状を見るなら金融緩和と不動産投資が再開発を押し上げ、大手不動産業者が事業資金を得やすくなっている状況は、バブルを思い起こす一面もある。
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 歴史は繰り返すという。また同じ轍を踏むのだろうか。
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内閣府の景気基準日付での不況は
1991年(H3年)3月(山)~1993年(H5年)10月(谷)までの32か月間
1997年(H9年)6月(山)~1999年(H11年)1月(谷)までの20か月間
2000年(H12年)12月(山)~2002年(H14年)1月(谷)までの14か月間
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 バブル景気とは1986年~1991年3月までを指す。ゼネコン業界は1990年台に「日本の借金を作った元凶」といういわれの無い濡れ衣を着せられ、公共事業費を削減されました。日本の公的債務と公共事業費のグラフを見れば一目瞭然で、公共事業費を減らせば減らすほど借金が増えている。公共事業費に使ったお金は下請け、孫請け、製造、労働者、サービス業など社会に循環し、使ったお金以上の税収が帰って来るからだ。
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 このバブル崩壊で不良債券の話に問題になると、銀行やゼネコンが悪の元凶のように言われた。バブルの傷跡と称されるバブル期に作ったゴルフ場やリゾート施設が話題にされ、ゼネコンも倒産している。ゼネコンが事業費を借入し建築や造成をしたのであろうか。一言で言うならノーである。調子づいて便乗した建設業者がいたのは事実であるが、大抵は事業主の銀行借り入れの債務保証をし工事を受注した建設業者が倒産している。この時代、建設会社も不動産を購入し、ゴルフ場経営をしていた。子会社の債務保証をしていた例も多い。土地神話(土地は値下がりしない)に踊っていた時代でもある。
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 バブルが醸成された原因は、日本製品が大量に米国に輸出されていた時代で、米国は輸入制限に動き出し、1985年米英西独仏日の5か国蔵相会議がニューヨーク市のプラザホテルで開催され、貿易赤字の米国の財政赤字を起因とするドル危機再燃を防ぐため、ドル高で推移していた為替をドル安に誘導する合意をした。これは、実質的な「円高ドル安」に誘導する合意だった。これが世にいう「プラザ合意」である。
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 合意発表後の円レートは、20円下落し、1ドル235円から1年後には150円となってしまった。日銀は円高不況を恐れ、1年後の1986年公定歩合を下げた。名目金利は下がり、資金貸し出しは拡大し、海外旅行ブーム、米国資産の購入、東南アジアへの工場進出と東南アジアへの直接投資が急激に増えた。
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 1987年行き過ぎたドル安を是正するため各国が為替レートに協調介入をするルーブル合意がなされた。
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 この動きを国内的にみると
1986年12月から始まったバブル景気は1989年12月29日の大納会、日経平均は3万8925円となり絶頂期を迎えた。この間日銀は、公定歩合を操作し金利調整をし、1985年5%の金利は1987年には2.5%となった。
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 これにより、銀行からの借り入れがしやすくなり、個人も企業も土地投資や設備投資に走った。土地神話に裏打ちされ、土地投資だけでなくゴルフ場投資も行われ、購入土地を担保に又、金を借りた。土地値上がりの実情に加え、銀行が値上がりを予想し、過剰融資(銀行主導の面もある)を繰り返し不良債権の山が出来上がっていった。
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 土地と同時に株価も急騰した。インフレを警戒した日銀は、公定歩合を段階的(5度)に引き上げ最終的に年6.0%となり、加えて、不動産融資に関する総量規制が行われ、バブルが急速に冷えた。
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 1990年の大発会から株価は急落、円も債権も同時に下がるトリプル安となった。1990年3月の銀行へ行政指導により、1年後の1991年3月からバブルが崩れ始めた。
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 バブルに拍車をかけた公定歩合の引き下げ、景気にブレーキをかけたのは5度に分けて実施された公定歩合の引き上げと銀行に対する行政指導だ。銀行に対する行政指導が遅れて実施されたならバブルはゆっくりと後退したかもしれない。
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 同時進行の不動産融資総量規制で「不動産融資の伸び率を全体の融資の伸び率以下に抑制せよ」ということと、不動産業、建設業、ノンバンクへの融資は報告せよと指導。これは、大蔵省が銀行の融資実態を把握することと、新規不動産融資を実行しにくくした。
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 身の丈以上に融資を受け、工場拡大、店舗拡大、アルバイト雇用増、マンション経営、レジャー施設やゴルフ場開業、リゾート施設等の各種会員権投資などに加え、個人消費の拡大に伴う個人融資も拡大し、日本中がバブルに踊っていた。
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 バブル期の総理は1982年の中曽根康弘政権時の1985年に始まり、竹下登、海部俊樹、1991年3月の宮澤喜一(1992年まで)である。
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 バブル崩壊の引き金となった公定歩合引き上げ、1989年12月に日銀総裁に就任したと同時に引き上げに踏み切り、1990年の大発会の取引直後から株の下落が始まりバブル崩壊が始まった。
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大手企業や話題に上った企業の倒産の事例を記載すると以下の通り。
倒産年月、会社名、負債額、業種、倒産形態の順。
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1985年08月 三光汽船 1558億円 海運会社 会社更生法
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1991年08月 恵川 4100億円 料亭 任意整理
1993年11月 村本建設 5900億円 ゼネコン 会社更生法
1994年10月 日本モーゲージ  5185億円 不動産担保ローン 特別清算
1995年03月 島之内土地建物  2725億円 不動産開発 任意整理
1995年08月 兵庫クレジットサービス 1403億円 貸金業 民事再生法
1995年11月 兵銀ファクター 3692億円 債券保証 特別清算
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1996年10月 日榮ファイナンス 1兆円 住宅金融保証 商法による会社整理
1996年11月 末野興産 負債総額7160億円 不動産業 破産
1997年04月 クラウン・リーシング 1兆1874億円 総合リース業 破産
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1997年01月 法華倶楽部 227億円 ホテル 会社更生法
1997年07月 東海興業 5110億円 建設業 会社更生法
1997年09月 ヤオハンジャパン 1614億円 総合小売業 会社更生法
1997年11月 三洋証券 3736億円 証券業 会社更生法
1997年11月 北海道拓殖銀行 2兆3433億円 都市銀行 解散、営業譲渡
1997年11月 山一證券 3兆5085億円 証券業 破産
1997年11月 徳陽シティー銀行 経営破綻
1997年11月 たくぎん抵当証券 5391億円 抵当証券 民事再生法
1997年12月 丸荘証券 445億円 証券業 自己破産
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1998年09月 日本リース 2兆1803億円 各種リース・金融 会社更生法
1998年10月 日本長期信用銀行 約3兆6000億円 長期信用銀行 金融再生法による特別公的管理
1998年12月 日本債券信用銀行 約3兆2000億円 銀行業 金融再生法による 特別公的管理
1999年05月 日本ランディック 4708億円 不動産 特別清算
1999年09月 苫小牧東部開発 1423億円 第三セクター 特別清算
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2000年05月 ライフ 9663億円 信販・クレジット 会社更生法
2000年06月 麻布建物 5648億円 不動産 会社更生法
2000年07月 そごう 6891億円 百貨店業 民事再生法
2000年07月 西洋環境開発 5175億円 デベロッパー 特別清算
2000年10月 千代田生命保険 2兆9366億円 生命保険業 更生特例
2000年10月 協栄生命保険 4兆5297億円 生命保険 更生特例
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2001年03月 東京生命保険 9802億円 生命保険業 更生特例法
2001年09月 マイカル 1兆5482億円 総合小売業 民事再生法
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2002年07月 大日本土木 2712億円 ゼネコン 会社更生法
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2003年02月 ハウステンボス 2289億円 観光 会社更生法
2003年10月 足利銀行 1023億円 地方銀行 特別危機管理銀行指定後国有化
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2005年11月 エー・シー・リアルエステート(旧フジタ)3526億円 不動産 民事再生法
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2007年06月 麻布建物 5648億円 不動産開発 会社更生法
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2008年08月 アーバンコーポレーション 1558億円 不動産 民事再生法
2008年09月 リーマン・ブラザーズ証券日本法人 3兆4000億円 民事再生
2008年10月 大和生命保険 2695億円 生命保険業 会社更生法
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2009年02月 SFCG 3380億円 ノンバンク 破産
2009年11月 ロプロ 約2500億円 事業者向け貸金業 会社更生法
2009年11月 穴吹工務店 1400億円 不動産 会社更生法
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2010年01月 日本航空 6715億円 空運 会社更生法
2010年02月 ウィルコム 2060億円 通信業 会社更生法
2010年09月 日本振興銀行 6194億円 銀行 民事再生法
2010年09月 武富士 4336億円 サラ金 会社更生法
2010年10月 中小企業保証機構 1270億円 ファイナンス 民事再生法
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 建設業界は1993年バブル崩壊後に不況時代に入っている。1995年1月17日発生の阪神・淡路大震災がある面建設業界に潤いを与えた面がある。復興費用は、建設国債中心の国債発行で賄われた。予算規模は4兆円程度、追加は、3次までの補正予算は1兆円、2.8兆円、6兆円の9.8兆円であった。
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 つづく
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