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自民の新総裁は菅氏を・各派閥の動き!
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菅氏が選ばれたら1年間で何をするか明確にすべき!!
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日本に二大政党を、そして政権交代をという構想を実現したかに見えた民主党が2009年7月13日、自民党の麻生政権が衆議院を解散する意向を表明。7月21日、衆議院が解散され選挙に突入した。選挙の結果308議席を獲得し政権が交代し、鳩山内閣が発足。2010年以降小沢一郎氏をはじめ所属議員の政治資金問題が発生、鳩山首相の献金問題でも国会追及を受け、国民の不信を招くことが多くなった。
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野党時代の民主党の主張と、与党としての民主党の能力や政策との乖離が徐々に明らかになるにつれ、鳩山内閣への国民の不信はピークに達し、来る参議院選挙では20議席台に留まるという衝撃的な事前調査も明らかとなる。鳩山は事態打開のため、一連の問題の責任を取る形で首相を辞任した。
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後継の菅政権は、幹事長に枝野、内閣官房長官に仙谷由人など、主要ポストにいずれも非小沢の急先鋒を据え小沢と一線を画した。発足当初は、60%を超える高い内閣支持率を記録したが、参議院選挙戦での菅の消費税を巡る発言が二転三転し、現有54議席を10議席も失い、小沢グループとの対決・抗争が深刻化した。2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、政権は震災復興と福島原発事故の対応に追われた。自民党などが提出する内閣不信任決議案に対し、小沢に近い50人余りの議員が同調する意向を示したが、翌2日の採決前に開かれた党代議士会で菅が辞意とも取れる発言をしたことで小沢グループは自主投票となり、不信任案は否決された。菅はその後、福島第一原発事故の対応にメドがつくまで続投する意欲を示したが、政府・党執行部からも菅への退陣要求が出始め、8月26日に菅が退陣を正式に表明したため、民主党代表選が行われ、決選投票で野田が選出された。
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野田内閣は、野田佳彦が第95代内閣総理大臣に任命され、2011年(平成23年)9月2日から2012年(平成24年)1月13日まで続いた。鳩山由紀夫内閣、菅内閣(菅内閣、1次改造、2次改造)に次ぐ第3代目の民主党中心の内閣。
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野田は選挙演説で次のような演説を行なっていた。
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マニフェスト、イギリスではじまりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです
消費税1%分は、2兆5000億円です。12兆6000億円ということは、消費税5%ということです。消費税5%分のみなさんの税金に、天下り法人がぶら下がってるんです。シロアリがたかってるんです。それなのに、シロアリ退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか?
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民主党が念願の政権交代を、わずか3年余で再び自民党に明け渡す役割を演じたのが、この野田佳彦であった。
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初めから強いリーダーシップに期待感があったわけでもなく、前任の鳩山由紀夫、菅直人がいずれも重心の高い危うさがあったことから、一見、重心の低さを感じさせた雰囲気に期待感があった。
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野田政権のすべり出しの内閣支持率は、予想を上回る60%の高さであった。新政権に対する国民の期待は常に高いもので、実力は蓋を開いてみないとわからないものだ。
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1)鳩山、菅の両政権が党内人事で常にゴタゴタを招いていたことから、こうした人事を払拭してみせてくれるのではという期待感で、野田は幹事長に、党内左派だが小沢一郎ら右派と太いパイプのある輿石東を持って来た。党内へのにらみを期待したもので、こうした人事は、まずは成功した。
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2)派手さはないが、重心を低くして堅実な政権運営を行いそうで、政権発足当初、自民党からは、「鳩山や菅と違い、自民党との対決路線を取らず、低く構えて融和路線で臨んで来そうだ。油断はできない」との声も出たくらいだった。
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政権発足早々、国民の多くは失望感にひたることになる。政権発足から初の国会である臨時国会さなかに閣僚の放言、失言が重なり、自民党からも一変して、「野田政権は意外と早く潰れるのではないか」との見方が出始めた。
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民主党内にも懸念のあったTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加を表明、「社会保障と税の一体改革」のための消費税率の引き上げへ意欲を示したことである。
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消費増税に関して、まずノーを突きつけてきたのが党内最大勢力の小沢一郎のグループ。
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「民主党が国民と約束、政権を取らせてもらったのは『国民の生活が第一』ということではなかったか。それが消費増税の負担増では、政権がもたない、消費増税を『不退転の決意でやる』とまで表明しているが、あの執着ぶりは異常としか言えない」
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ついに、小沢グループの衆参50名がもはや野田政権に協力できないとして離党届を提出、ここから実質的な民主党の瓦解、野田政権の崩壊が始まったのである。
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民主党と野党の自民党、公明党との「大連合」構想を打ち出した。さすがに民主党内から「政権交代可能な2大政党づくりに成功したのに、あまりに矜持がなさすぎる」と大ブーイング。世論も野合批判し、政権はピンチに陥ったのに、9月の代表選では、野田がなんとか「再選」された。
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岡田克也を副総理、細野豪志を環境相、前原誠司を政調会長のシフトで、10月29日からの秋の臨時国会での消費増税法案の成立を期したのである。自民党が法案成立に反対した場合は、「人気三人衆」を前面に立て、衆院解散・総選挙で国民の信を問うという腹づもりだった。
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自民党は9月の総裁選で、第一次内閣を投げ出した安倍晋三が対抗馬の石破茂を破って総裁に就任、政権奪還への執念を見せつけていた。
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臨時国会終盤の11月中旬の野田総理と安倍総裁との「党首討論(クエスチョン・タイム)」は、野田が「社会保障と税の一体改革」のための消費増税法案成立へ自民党の協力を迫り、「協力を約束してくれるなら、ここで衆院の解散を約束する」と言明した。安倍は待ってました、政権奪還のチャンス到来と「協力」を約し、これにて12月の総選挙突入となったのだった。
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3年余で儚く散ってしまった。最大の原因は、鳩山、菅、野田の3政権がトップリーダーとしての「胆力」を大きく欠いていた。
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民主党・野田政権は2011年9月2日~2012年12月26日で終わった。
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以来、7年8か月後の2020年8月28日、今度は安倍首相が病を原因として首相を辞任した。
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野党となった民主党はその後、四分五列となったが9月16日野党合流し新党を結成した後に再度「立憲民主党」を名乗り枝野幸男氏を代表に選ぶようだ。
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9月14日の自民党の総裁選で菅氏が選出されるだろう。党内でも選出方法に異論があるようだが、どのような選出方法であれ、任期は1年。総花的に安倍政権の政策を踏襲するといっても時間は限られている。任期1年で何をするのか「明確に、国民と約束すべき」だと思うが。
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そのためには、だれもが言う「国民に信を問う」意味でも、早期に解散する必要があるだろう。
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