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防衛省と値段が折り合うまで紆余曲折が続く!
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駆け引きと思惑・誰が得をするのか!
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米空母艦載機の発着訓練(FCLP)の移転先候補地に挙がっている鹿児島県・馬毛島を所有するタストン・エアポート(旧社名は馬毛島開発)が破産を申し立てられていた問題で、新たな動きがあった。
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10月25日付朝日新聞は、こう報じた。
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「タストン社によると、申し立てをした債権者2社に(10月)22日、約4億2千万円を返済し、2社が申し立てを取り下げた。東京地裁が出していた保全管理命令も解除される見通しという。タストン社では返済資金の借入先の求めに応じて11月15日、長く社長を務めてきた立石勲氏が退任し、次男で副社長の薫氏が社長に就任。
薫氏は朝日新聞の取材に『政府、防衛省と売買に向けて交渉をしていく』としている。防衛省は馬毛島を買い取る方針で、『交渉を続ける』としている」。
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タストン・エアポートは債権者から破産開始を申し立てられ、東京地裁から6月15日付で保全管理命令を受けた。帝国データバンクによると、負債総額は2016年10月期末で240億2800万円。
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馬毛島は種子島の西約12kmにある、およそ8㎡kmの無人島。神奈川・米軍厚木基地から山口・岩国基地へ空母艦載機部隊の移駐に伴い、東京・硫黄島で行われている空母艦載機の発着訓練の代替地として、11年の日米の合意文書に馬毛島が明記された。
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島の99%の土地はタストン社が所有しており、交渉しやすいことも移転先に選ばれた理由とされる。16年11月、日本政府とタストン社が売買に向けての合意書を締結し、同年12月に鑑定評価業務の競争入札を開札。17年3月末までに買収額が確定するとみられていた。だが、価格で折り合うことができず、交渉は事実上ストップした。
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その最中に、タストン社が債権者2社から破産を申し立てられたのだ。その意図をめぐって、さまざまな臆測が飛び交った。タストン社の破産が確定すれば、破産管財人が任命される。防衛省の売買交渉の相手は管財人になり、安く買い上げることができる。防衛省の意を汲んだ上での破産申し立てではないかと、取り沙汰されている。
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朝日新聞の報道によれば、債権者への返済資金の借入先の求めに応じ、強硬派の立石勲社長が退任、推進派の次男の薫氏が新しい社長に就いたという。どちらに転んでも、防衛省の思惑通りにコトは進んでいくように映る。売却交渉は加速し、早晩、馬毛島の売却が決まることになるとみられている。
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<平和相互銀行による「馬毛島事件」>
馬毛島が“利権の島”になったのは、今回が初めてではない。およそ四半世紀前、馬毛島を舞台とする平和相互銀行による政界献金疑惑が持ち上がった。世にいう「馬毛島事件」である。
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1974年ごろから、平和相互銀行の子会社だった馬毛島開発が馬毛島の土地の買い占めを進め、80年に無人島になった。その当時、国は石油備蓄基地の候補地を探していた。馬毛島を国に買い上げさせようと、平和相銀はひと儲けをたくらんだ。しかし、石油備蓄基地が鹿児島志布志湾に決まったため、計画は挫折。この島の買収に要した資金の金利負担が平和相銀の重荷になった。
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馬毛島を持て余していた平和相銀は原発の廃棄物処理場や自衛隊のレーダー基地として250億円で買い上げさせる目的で、大物右翼に政界工作を依頼して20億円を提供した。これが83年の馬毛島事件である。だが、これも失敗した。
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平和相銀を買収した住友銀行は、95年に島の99.7%の土地を所有する馬毛島開発を4億円で立石勲氏に売却した。馬毛島開発は11年1月に社名変更してタストン・エアポートとなった。
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<馬毛島を4億円で買収、米軍用の滑走路を建設>
立石勲氏は1933年、鹿児島県枕崎市で生まれた。地元の県立鹿児島水産高校を卒業。上京して64年に建設会社を立ち上げ、立石建設と砕石会社、立石建設工業の社長を務めた。
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米軍の使用を想定して、無人島の馬毛島を買収した。巨大な滑走路を建設。立石氏は07年、米軍空母艦載機離着陸訓練施設の誘致を表明した。
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ところが、ハプニングが起きた。沖縄・米軍普天間飛行場の移設問題だ。民主党政権の鳩山由起夫首相(当時)の「最低でも県外」発言以来、大混乱に陥った。移設先として、さまざまな地名が挙がった。
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「政府から移設を求められれば、積極的に受け入れたい」
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立石勲社長はこう表明した。だが、立石社長の期待に反して、馬毛島移設は実現しなかった。
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迷走の果てに2010年5月、辺野古に移設することで日米が合意した。自民党政権時代に日米で合意していた辺野古への回帰である。沖縄県民に県外移設の期待を抱かせた鳩山政権は完全に信頼を失い、同年6月、鳩山氏は首相の椅子を手放さざるを得なくなった。
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さらに10年5月、立石氏の脱税が報じられた。防衛省と立石氏側の売却交渉は難航。12年、立石氏は「島を中国資本に売る」と発言して揺さぶりをかけた。16年、防衛省と立石氏は交渉のテーブルに着くことで合意したが、進展はなかった。
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最大のネックは、価格である。立石氏が07年、空母艦載機の発着訓練の誘致に名乗りを上げたとき、「買い上げ価格は200億円」と噂された。140億円かけて滑走路をつくったといわれるが、200億円で買い上げてもらえば単純計算で56億円近い儲けが出る。
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それから十余年。タストン・エアポートの負債は240億円と報じられている。200億円程度の買い上げ価格では赤字となる。果たして、どの程度の価格で折り合いがつくのかが、最大の見どころである。
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