2014.02.19.

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人の利用の仕方:梓設計・喜多村専務の場合!(上)



喜多村専務の薄情商法!

宮崎会議所・目良会頭は我慢ができるか!


 宮崎県内の優良企業「宮崎・綾町、雲海酒造株式会社」を一代で築あげた中島勝美前社長(2010/1/2没)宮崎商工会議所会頭も歴任した宮崎県内では堂々の実力者。

 宮崎県経済界をけん引した実力者も、肺炎で急死するとは思わなかったであろう。米良電機産業目良会長にとっては千歳一隅のチャンス。中島前会頭がどういうわけか、米良氏を嫌っていた。目良氏にとって眼の上のタンコブが居なくなり、一気に後釜を手に入れた。商工会議所・米良長期政権への第1歩が始まった。

 梓設計の喜多村常務(当時)、2001年当時は病院設計など取れた試はなく、勿論、病院設計の実績もなかった。そこへ降って湧いた分けではないが、業界実績のある営業責任者を迎え入れ、実績作りに動き出し、第1号が熊本日赤の設計を落札したのが始まりである。

 病院設計の受注には仕込みの時間が結構かかる。昨日今日営業したから、すぐ受注できるわけではない。病院担当者と営業担当の本心の付き合いとか、有形無形の信頼があってこそ受注に結び付けれるのである。

 当時の喜多村常務、担当は表の業務・裏業務は常務が引き受け、要所の営業担当に裏資金の捻出をさせていた。使うのは常務である。

 この裏仕事が功を招きだしたのも事実であるが、実績を重ねる中で各種協力者が出てきて受注に結びついたのも事実である。しかし、喜多村常務のもみ手で頭をぺこぺこ下げるのはその時だけ、受注が済み一服すると「その時の恩義をあっさり忘れる」という悪習は今も変わりがなく、後の尻拭きは地域支店長であり担当者だ。

 現在行われている、小林新庁舎のプロポーザルの黒幕である宮崎商工会議所米良会頭に近づけたのも、梓設計の宮崎担当の営業社員の導きで米良氏と会い、前々からの仕込みを無視し、目良会頭に的を絞り前ルートで開拓していたものを目良会頭に乗り換えたのだ。

 そのおかげで、梓設計が小林市庁舎の基本設計がとれた。言い換えれば、裏切り・踏みつけの挙句に落札という果実を手にしているが、果たして「実施設計のプロポ」も同じ手口で再受注できるだろうか。喜多村専務の仕込みは、身内の営業努力を踏みつけにし、外部協力者も受注したら見捨てるという「薄情営業」に徹しているのが特徴だ。

 もみ手と猫なで声には気をつけよう。

 米良会頭と喜多村専務の蜜月も、小林新庁舎実施設計を受注するまでの短い期間、かもしれない。お互い、金の切れ目が縁の切れ目、、、。